Tancerka Japońska - ポーランドの日本人バレエダンサー!

ポーランドの劇場で働く日本人バレリーナライフ!

回想録⑥ 新しい教室へ

 

中2の冬に発表会を終えて、それまで通っていた教室を退会しました。そして、新しく通う教室を探すことにしました。

 

長くお世話になった教室の先生にお話しするのは勇気がいりましたが、

私は中高一貫校に通っていて、高校課程では校舎が遠くなり、レッスン時間に間に合わないとなりました。

幼少からプロのバレエダンサーになりたいと思っていた私は、高校に通う年齢あたりで海外のバレエ学校への長期留学のチャンスをなんとか掴みたいと思っていましたが、いろいろな事情を考えるとコンクール等で奨学生に選ばれるしかないと考え、高校では本格的にコンクールに出場しようという計画を立てていました。

なので、教室を変えるなら早く変えて高校課程に上がる時にはコンクールに本腰を入れられる状態を整えておきたい、というのが私の至った考えでした。

 

当時教わっていた先生は移籍について理解してくださり、今でも関係を続けることができています😊✨

 

そして、中3に上がる直前に、新しい教室へ入会しました。

まずは教室に慣れて、1年後あたりにコンクールに…というのが私の考えていた計画で、その通り実行しましたが…

今から言うなら、そんな流暢なこと言わないで、早くなんでも挑戦しなさい、と言ってやりたい。(笑)

人生そんなに甘くはないのでした。(笑)

 

次回へ続く〜

夏休み🏖🐬

 

6月下旬に日本へ帰国しました。

当初は、ヨーロッパでのコロナの影響が大きく、今夏は帰国できないかなと思っていましたが、少しずつ規制緩和が進み、無事帰国することができました。

ただ、ポーランドからの国際線はまだ再開していなかったため、ヨーロッパの国を複数経由する長旅(2日🙄)。。。しんどかった。疲れた。

 

コロナによる劇場臨時休業の影響で、来シーズンの開始が少し早まり、まだコロナも終息はしていないので余裕を持ってポーランドへ帰ります。

日本に帰国してから2週間の自宅隔離もあり、

結局日本で自由に(?)過ごせる夏休みは1ヶ月弱。残りあと1週間ほど。

この1ヶ月弱、少し少ないくらいに思っていたら、全然少ない😭

日が経ち、日本の生活を思い出していくにつれて、あと1ヶ月夏休み欲しい🙏という欲が出てきた😅

 

海外大好き人間ですが、やっぱりホームはホームですね。気が緩まります😌

やっぱり海外では、自分が外国人っていう意識が根底にありながら生活してるなーと。

 

で、日本に帰ってきて何をしたかと言いますと…

外せないのが「日本食堪能」!!

お蕎麦、海鮮丼、お寿司、お好み焼き、鉄板焼き、たこ焼き、串カツ、抹茶スイーツ、わらび餅、かき氷、、、とにかく今しか食べられないもの食べとかないと!って言うことで、ほんとに色々味わいました😋(書いてみるとほんとによく食べてる😅)

自分でお浸しやきんぴらごぼうを作るだけでテンションが上がったり😁

日本では一般的でもポーランドでは見かけない食材も多いので、向こうで日本食を作るにも限界があるのです…ゴボウとか見たことない。。

ただ、今年はもう少しアジアからの食材や調味料を置いているお店を見つけて、向こうで食べる日本食のレパートリー増やしたいなと思います✊

 

日本食を食べた時や日本文化があらわれてる写真を撮った時は、バレエ団の同僚の方向けにシェアもしてました。1年ポーランドで過ごして、意外とヨーロッパで認識されてる日本文化って少ないし、ヨーロッパ流に若干変わっていたりして。。。(お寿司とかその最たるもの。笑)

そのままの日本ってあまり知られてないけど、そのままの日本も知って欲しい!と思って。

でも、天ぷら蕎麦とか海鮮丼とか、日本のお城とか、これぞ日本!って既に認識されてるものには反応してくれるんだけど、やっぱりそうじゃなかったり、映えてないととっつきが悪い印象。。。

まあSNSってそういうもんだから仕方ないよね。

 

2週間の隔離期間中は、ずっとおうちバレエ。

その後、ようやくレッスンを受けに行きました◎。ただ、2月に足首を捻挫し、その治りが悪く、おまけにコロナでバレエ団も本格的な活動がなかったので、、、4ヶ月ぶりのジャンプとポアント…

流石にビビりながら恐る恐る始めましたが😅💦

1週間もすれば慣れてもう今はバンバン回って跳んでおります😁でもやっぱり、レッスン後などに左足首にだるさや疲れが出やすく、筋力が弱っているよーな。。。まあ痛みはないので次第に戻ってくれるかな☝️❕

 

出発が迫ってきたので、ぼちぼちパッキングを始めていますが、何せ今回、機内持ち込み手荷物2つのみで帰ってきたので、あまり物がたくさん入らない。。色々厳選して持って帰ります。

準備しながら、日本を離れる寂しさと新しいシーズンに向けての期待を感じてます✈️

回想録⑤ ケガ

そんな感じで、2回目のコンクールを終えて、

数ヶ月後に別のコンクールにも出ました。その時は入賞ならずでしたが、入選(決選進出)まではできました👍

その後は、教室の発表会に向けて練習があるので、コンクールは一旦休憩。

次は、中1の終わりに初入賞したコンクールの別部門に出場することに。

 

曲はアレキナーダ。

発表会後、コンクールに向けて練習量も通常の週4回から週5〜6回に増えました。

コンクール2ヶ月前辺りから、踊りがとても仕上がっていて、とても調子がよく、絶好調‼︎

そんな時、何か右足の薬指と小指の下辺りに痛みが。

とりあえずマッサージしてみたり、揉んだりしてました。

いつもならどこか痛みがあっても、数日で気づいたら消えているのですが、

この時はなんだか長い。

コンクールの練習は休めないし、はじめはそのうち治るだろうと、そこまで気にしていなかったのですが、

 

レッスンも受けられるけど、いくつかの動きをすると痛い。

次第に、時々歩いてて痛みを感じる時も出てきました。

 

痛みもどんどん強くなり、

ある日の朝「やっぱり痛い。」と言って、病院に行ったほうがいいのかな、とも思ったのですが、

「レッスン行かなあかんでしょう。」と親にも言われ、自分も今レッスン休めないと思っていたので、レッスンに行きました。

その選択は良くなかったです。(汗)

痛い動きを庇いながらやっていたのですが、小さいジャンプの着地でやってしまいました。

自分で音が聞こえて、そこから歩くのもままならなくなり。

中足骨数本、疲労骨折(ヒビ)でした。その小さいジャンプが最後の一撃やったんですね。(汗)

1ヶ月安静にしなければいけなくなりました。

 

「ケガ・体に対する知識」、持っていないとダメですね。「痛いのに無理をしていいことはない」です。この時に学びました。

(時々忘れますが。😅)

ケガの知識は、本人もだし、親御さんにも持っていて欲しいと思います。当然ですが、先生も。

 

人生初、まさか自分がつくとは思ってもみなかった松葉杖デビュー。(笑)(汗)

バレエどころか学校に通うのすら大変でした。💦

友達に荷物持ってもらうなど、沢山助けてもらって。。

みんな、本当にありがとう🙇‍♀️✨

 

とりあえず1ヶ月の安静期間を経て、コンクール1週間前にレッスンに戻りましたが、

骨はくっついたと言っても、まだ痛みはありまして。当日の朝までギリギリまで粘りましたが、全ての振付をこなす事ができず、やむなく欠場しました。😢

まあ今から考えれば中学生のコンクール1つ出られなくなったところで大したことではありませんが、その時は必死でしたから。とても辛かったです。

 

結局、レッスンでも痛みは出るので、少しずつ様子を見ながら練習を再開しました。

「ケガを治すには時間が必要」、ということも学びました。

 

で、結局いつ治ったのかと言いますと、それがわかりません。😅

というのも、レッスン再開して少し経ってたから、次は仙骨という骨を疲労骨折(こちらもヒビ)しまして。。。(汗)

整形外科の先生にも、ここにヒビが入るなんて珍しい、と驚かれたくらいなので、原因もよくわからないのですが、

仙骨治している間に、足の方は気づいたら治っていました。(笑)

わかる限りだと、中足骨を完全に治すのにかかった時間は、長くても4ヶ月強です。😅💦👍

 

ケガをしたこと、この時は辛かったですが、今思えばこの時期で良かったと思います。

早い年齢で、「ケガをして治す」という経験をできたこと、これをきっかけに身体のことを勉強しようと思えたこと。

実際、今も捻挫をして、

(まあ今は特に仕事としてやっているので焦りましたし、公演のスケジュール上本当に必要な休養期間を早く切り上げて踊り出す必要があり、それが原因なのか今も長引いていますが😅)

「ケガを治すのには時間が必要」(むしろそれが近道)と知っているから、まだ辛抱してられてるのかな、と。

 

していいことではないですが、意味ある経験ではあったかと思います。😊

回想録④ 2度目のコンクール💃✨

 

そんな感じで、無惨な結果となった初めてのコンクールでしたが。(笑)

小学6年生の終わりにまたコンクールに出ることに。その時は前回とは違う、規模も小さいコンクールに出場しました。

演目はジゼル第一幕のVa. 。コンクールの前に発表会でも踊りました。

 

まあこれが難しい。音が鳴り、袖から出てきて踊りはじめの位置に行くまでの歩き方や演技指導から始まりましたが、まあなかなか先生からOKが出ないんですね。😅

しかも、自分では見せて貰ったお手本と同じようにやってるのに、違うと言われ何度もやり直し。自分でもどこが何がどう違うのかわからずとても困惑しました。

あと、「上半身の力を抜きなさい」って言うのも何度も何度もこの時に指導してもらったのを覚えています。

まあ結局上半身に力が入ってしまうような体の使い方、テクニックだったんでしょうね、その時は。😓

(その時はって言うか今も力入りすぎたりするんですが。😶)

 

一歩目のアラベスクがうまくいかなかったり、変な力入りすぎって見られたら初めからやり直し。何度も。地獄。🥵🥵🥵

そしてやり直しすればするほど疲れて余計にできない&無駄な力みが出てくる。。。まさに悪循環。😫

おかげでアラベスク鍛えられました。(笑)

こうして、楽しくもしんどい、しんどくも楽しい練習を経て

 

コンクールの日。💪🔥✨

本番は緊張でガチガチにならず、適度にリラックスして踊れました。

この時、舞台で初めて経験した。それは思い出そうとしなくても、今まで受けた注意が、驚くほど自動的に頭に浮かんできたこと。それを一つ一つきっちりクリアしていくこと。それが気持ち良いくらいスムーズに進みました。

踊った後の達成感もいつもより大きく✨

結果は無事予選通過👍

 

次の日、決選。

予選に比べミスがあったものの、まずまずの出来。

あ、ちなみに最後は、お手つきするという、どうしようもないミスやらかしてます。(笑)

 

そして、表彰式で結果発表。まあまあ良かったけど最後やらかしたので、厳しいかなぁ、でも賞欲しい…!とドキドキしながら結果発表を聞いていたら、

呼ばれました!5位に私の番号!

 

これはめちゃめちゃ嬉しかったです😆

 

初入賞という素敵な思い出ができた2回目のコンクールでした✨

 

回想録③ 初めての挑戦!コンクール!

 

特別クラスに入って、1年目はキューピッド、2年目はフロリナ姫を発表会で踊りました。

1人で舞台で踊るなんて、それはそれはど緊張😨

しかも、年齢順に踊るので1番目とか2番目。(笑)(汗)

周りのお姉さん達に

「どうしよどうしよ!緊張する!緊張するよーーー!!!」

って騒いで、沢山なだめて励ましてもらって舞台に出て行ってました😂

本当にお世話になりました🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

 

 

 

そして小学4年生の春、1年後のコンクールに出ないかと先生から声をかけていただき、、、

コンクールに出たいと願っていた私は大喜び😆💗

それも全国で名の知れた大きくてレベルの高いコンクール。

一年後のためにお勉強ということで、見に行きました。。。決選を。(笑)

 

そして、いきなりのダメージをくらった。(笑)

全国レベルの決選ですからね。(笑)

みんな上手なわけです。

しかも1年後、私は最年少での参加。あーこれは大変だ。。😱

と衝撃を受けました。

が、もちろんやる気は俄然上がり⤴︎⤴︎⤴︎

教室のレッスンにも今まで以上に身が入りました。自分のコーチング時間でない時の過ごし方も、その時から大きく変わったと思います。

とにかく、スタジオにいる間は練習、練習、練習!!!

自習途中でお喋りし出したりすることもなくなりました。(それまではしてたんかいっっ😅)

 

そこからますます練習すること自体も楽しくなって♪

やっぱり何か近い目標ができると頑張れるんだなあ。

 

ちなみに演目は、発表会で既に踊ったフロリナ姫。小学4年生の発表会でももう一度踊り、さらにその半年後、コンクールに出ました。

 

結果から言うと、惨敗。。。(苦笑)

まあそれも今はいい思い出。(笑)

 

実際初めてのコンクールが自分にとってどうだったのかと言いますと、、、

 

それまでの人生で最大に緊張した。(笑)

なんか、慣れないと、コンクール会場って怖いんですよ。(笑)

妙に張り詰めた空気感を感じて。(笑)

 

参加者や引率者でいっぱいの楽屋、

バーレッスンすらまともにできない程密度の高いリハーサル室、

自分でバーレッスンでアップをして、

踊る演目の確認練習をしてる間に

もう舞台の場当たりに行かなければいけない時間。

踊ったことのない舞台で、初めての場当たり。人が多過ぎて動けない。。。

そして、出番10人分前に舞台袖へ。

引率者は入れないので、袖の入り口でお別れ。

他の参加者が踊ってる中、自分の出番を待つ。

で、そこでやらかした。

自分の出番まであといくつなのか、把握をミスりました。

舞台監督の方に、出場番号と演目を確認され、「はい」と答え、、、気付く。(笑)

 

あれ、みんな出番の直前に確認受けてた…てことは次?!🤯

 

まさかの事態に心拍数が急上昇🥵🥵🥵

案の定、すぐに自分の番号がアナウンスされました(汗)(笑)

 

緊張MAXが収まらぬまま舞台へ。

そして、一歩目のステップからガタガタ😇

何も魅せることなく終了ー。

もちろん、予選落ち。

 

そーんな苦い経験が、初コンクールでした。チャンチャン♫😅

まずは予選に通ると言う高ーい壁が立ちはだかったのでした。。。(苦笑)

 

回想録② バレエへの熱意。そして、初めてのトゥシューズ🩰

そんな感じで始めたバレエですが、

今思っても「どんだけ好きやってん😅」って思うくらいバレエの虜でした。

その熱意でたびたび起こった事があり、、、今では到底そんなことできない。(笑)

 

というのも、熱を出して幼稚園や小学校を休むこと。度々ありますよね。

で、それがバレエのお稽古の日だったりするわけです。週2しかない貴重な日。

 

で、バレエ行きたい!!休みたくない!!ってごねます。(笑)

 

あんまりごねるので、「じゃあもし熱下がったら行こか」っていう提案が親から出されます。

 

で、、、なんと夕方のレッスンの時間までに熱下がるんです。(笑)

しかもそんな事が一回じゃなく数回。(笑)

もうこれぞ正に、意地・根性でした。(笑)

 

 

そんなこんなで、バレエを始めて2年経ち、待ちに待った瞬間が✨

通っていた教室では、小学校2年生になると、全員トゥシューズを履き始めました。

(※この年齢で履くのは、体の成長やテクニックの習得度からして、まだ早いです。)

私のサイズはお店の在庫になく、取り寄せで時間がかかったので、周りの友達が履いてるのに私の手元にはまだ来ない。すごくもどかしい気持ちになり、やっと届いた日はとても嬉しかったのを覚えています。

 

やっぱりトゥシューズバレリーナの憧れですよね🩰✨

 

また、通ってたお教室では週に1回「特別レッスン」と呼ばれるクラスがありました。小学2年生から入れる、いわゆる選抜クラス。「特別クラス」の生徒は、発表会でヴァリエーションを踊れるということ。

「憧れのお姉さん達と一緒にレッスン受けて、発表会では1人で踊れる✨」

小学2年生にはすごく嬉しいことです。

だから先生から参加のお誘いを受けた時は、めちゃめちゃ喜んでたのを覚えてます。

(もちろん、心の中で。(笑)表向きは「はい。はい。」ってお話聞いてました。😅)

 

そうして、トゥシューズを履き始め、特別クラスに入って、ヴァリエーションの練習が始まり。。。

 

次の目標は「コンクールに出ること」!

 

続きは次回~👋

回想録① バレエを始めたきっかけ

 

最近、昔の投稿とか写真を見返したりして思い出が蘇ってきたので回想録でも。

 

私がバレエに初めて出会ったのは、いとこの体験レッスンについて行ったとき。

3歳とかだったので、ぼんやりピンクとか黄色の可愛いレオタードきた子たちにまざって私服でレッスンに参加してた記憶だけ。

といっても、ついて行って、ホントはわたしは見学の予定だったのが、なんか一緒にやりだしたらしい?(笑)

体操の飛行機バランスみたいなアラベスク🤸‍♀️してる写真がたしかあったような…(笑)

 

それでバレエに魅せられて、

すぐにバレエやりたい!!って言ったんですが、なんかバーの高さが高過ぎるからとかなんとか(?)、その時は親にOKを貰えず。

3年ほどアピールし続け、年長になった時に、近所にあって友達が通っていた教室で体験レッスンを受けて即入会しました。

ようやく叶ったバレエを習うということ🩰✨😍😍😍✨🩰

大きくなってから、親の中ではわたしが頼んでたのは1年だったなんて記憶が塗り替えられてましたが。ヒドイ(笑)。

 

はじめはたしか週2で始めたはず。

なんせレッスンが好きで楽しくて、習い始めのわたしは簡単なステップを教えられるのに、先に進んでる他の子が習うステップまで、習うのが待ちきれずマネしたりしてました。(笑)

教室のお姉さんたちが次のクラスのために入ってくると、緊張したり憧れたり。。。もちろん、話しかけるなんて、当時はとても出来ませんでした。(笑)

 

幼稚園でもしょっちゅう、つま先だちして遊んでは靴の先がボロボロに😅

友達と遊びに行って撮る記念写真も、いつもバレエのポーズ🩰💗

(しばしばやめなさいと怒られる。。。あれなんで怒られなあかんかったんやろ。別に良くない??って今でも思う(笑))

 

とにかくバレエが好きで好きで仕方なかったんやな〜って、今振り返って思います☺️