バレエのためには死ねないな。(笑)

 

以前バレエの話を聞かれた時に、

「バレエに全てを捧げてる」でしょ?って聞かれて。

自分にとってのバレエって何かなって、その質問に答えることで、改めて言葉にして整理するきっかけになったので、書こうと思いました。

 

まず答えから。

「バレエに全てを捧げる」はしてない。

そういった、バレエのために身も心も削るってことは私はしてないし、今後もしないかな、と思います。

 

もちろん、他のことを犠牲にしてバレエに生きるというダンサーもいらっしゃいます。

実際、自分もそうなると思ってました。そうなるのがカッコいいと思ってたし、憧れてました。

でも、そうはならなかった。し、これからもそうはならない気がする。


そんな切羽詰まったものじゃなくて、もっと自然にあって、肯定的なもの。毎日でもできる、毎日でも飽きない、むしろ必要。食べる、寝る、と同じ。生きるために食べる、生きるために寝る。かといって、

寝食のために毎度全て捧げたりしないし。😅

本当に日常の一部。語弊を恐れずにいえば、あって当たり前。

 

少し前に、「生きがいやね」

って言ってもらったことがあって、その時まではそんな大層なものじゃないと思っていたけど、これもある意味、生きがいなのかもしれない。

 

こう言う感覚が広まれば、芸術も《社会的インフラ》になれるのかな🤔💭

 

 

ただ、バレエか命かって言われたら、

命を選びますけど。(笑)

だって、人生が豊かになるから踊りをしているのであって、自分の人生・存在を捨ててまで執着するものではないと思うから。

 

ロシアの至宝、ウリヤーナ・ロパートキナさんがインタビューで、

 

バレリーナは妊娠や出産を避けるべきといわれる傾向があるけど、女性としてのその能力を否定すべきではない


とおっしゃっていたのをみて、本当にその通りだなと思いました。

 

 

でもこういう姿勢、海外でバレエ団に入ってなおさら強く身についたのかもしれない。

日本って、毎日レッスンするのとか当たり前っていう風潮があるし、バレエに限らず、なんでも勤勉とか身を削って頑張るっていうのが、美徳とされてる所がある。

海外はプロダンサーといえど、もっとドライな人が多いです。

コロナでの劇場休業期間中だって、毎日家でレッスンなんてしないよ、なんて人もざらにいます。

 

バレエ団の先輩にも

「日本人は勤勉だよね、レッスン終わってもまだ動いてて。どこにその元気は残ってるの?なんでそんなに元気なの?」とか、

リハーサル後、私が練習してたら

「リハーサル終わったんだよ??早く帰るよ!」(←怒られてるわけじゃないです。(笑))

って言われたことは一度じゃない。(笑)

私自身はただ練習したかっただけだけど、そういう時に、ドライだなーって思いました。

中にはそれをレイジーっていう人もいますけど。(笑)

 

でも結局、それって自分の存在価値に重きを置いてるってことじゃないのかな、と思います。

日本は理想とされるお手本に個人が合わせていく傾向が強い気がする。それも悪いことばかりじゃないけれど、もう少し変わらないかなーと思ったり。

 

やっぱり、

自分が輝ける、生き生きできる、そんなものを見つけて、

 

そのために自分の心身を削ってしまうのではなく、

 

それが自分の生活に全ての面から良い影響をもたらしてくれる

 

それが1番大切かな、と。

 

 

聞き直してみた。

この前のこと、意図がよくわからなかったので聞いてみました。

 

この前のこと↓

幸せの物差し。 - MAkeYoUrlifeunique’s blog

 

で、聞くと、


①いつまでもシェア生活はしんどいだろう

ということと(しんどいなんて話したことないはずだけど)


②若いうちならまだしも、いつまでも一人暮らしじゃないなんて、少なくとも日本では考えられないだろう。家事情も国や都市によって違うだろうけど。


ってことらしい。

 

 

要するに、①生活の快適さ ②体裁

ってことね。

 


うん、言いたいことはわかるけど。

 


その先の「もう少し高所得な劇場に移ったら?」とか

「ダンサーは稼げないならいずれ転職したら?」とか

そこまで具体的なことは言わない。

 


かといって、今より高い給与を望むなら、

選択肢といえば、バレエ団移籍か転職しかないですし。

 


そこまでいろいろ考慮して言ったわけではないのかな。

 


とりあえず、聞いた限りでは

一人暮らしで快適な生活と、自立した生活といえる体裁を整えてほしい、ってことか。

 

して欲しいって言われたからと言って、私が決めることなので、そのまま言うこと聞くわけでもないですが。

 


で、別れ際に

「まあまた一年頑張って、もうずっとか」

て言われました。


知りたいことがあるなら、そんな付け足しで遠回しじゃなくて、ストレートに聞いたらいいのに。

 

契約は一年ごとだし、どちらかと言えば不安定な職ではあるので、

とりあえず一年、と今まで答えてましたが、

 

自分の心ではもっと長いスパンで考えているし、

毎度毎度うやむやな会話も嫌なので、

次帰った時には話そうと思います。

 

 

回想録⑥ 新しい教室へ

 

中2の冬に発表会を終えて、それまで通っていた教室を退会しました。そして、新しく通う教室を探すことにしました。

 

長くお世話になった教室の先生にお話しするのは勇気がいりましたが、

私は中高一貫校に通っていて、高校課程では校舎が遠くなり、レッスン時間に間に合わないとなりました。

幼少からプロのバレエダンサーになりたいと思っていた私は、高校に通う年齢あたりで海外のバレエ学校への長期留学のチャンスをなんとか掴みたいと思っていましたが、いろいろな事情を考えるとコンクール等で奨学生に選ばれるしかないと考え、高校では本格的にコンクールに出場しようという計画を立てていました。

なので、教室を変えるなら早く変えて高校課程に上がる時にはコンクールに本腰を入れられる状態を整えておきたい、というのが私の至った考えでした。

 

当時教わっていた先生は移籍について理解してくださり、今でも関係を続けることができています😊✨

 

そして、中3に上がる直前に、新しい教室へ入会しました。

まずは教室に慣れて、1年後あたりにコンクールに…というのが私の考えていた計画で、その通り実行しましたが…

今から言うなら、そんな流暢なこと言わないで、早くなんでも挑戦しなさい、と言ってやりたい。(笑)

人生そんなに甘くはないのでした。(笑)

 

次回へ続く〜

幸せの物差し。

 

この前、言われました。

「んで、いつまで向こうおるん。もうずっとか」

「でもずっと言うたって生活できんやろ」

「裕福な生活して欲しいねん。せめて一人暮らしできて、生活成り立つくらいはなあ」

 

今のポーランドでの生活、お給料だけで十分生活できます。

 

ただ、シェアフラット。

アパートの一室を数名でシェアしながらの生活。物件によりますが、大体は鍵付きの個人部屋に、共同のキッチンとバスルームが基本です。

私は、自分の部屋にキッチン台があり、バスルームだけ共用でした。

 

日本では最近流行り始めてきた(?)くらいだけど、私の住んでる街は大学が沢山あって留学生が多いこともあり、シェアフラットが主流。しかも、なぜか食費などはとても安く済むのに、それに対して家賃は高いから、一人暮らしの物件に住むと少し厳しいのです。

 

 

でも、その言葉に、私は心の中でムッとしてしまった。

もちろん生きるのにお金はいる。お金がなきゃなにもできないし、お金があれば大抵のことは今の世の中手に入る。お金がありすぎて困ることなんてたぶんない。

でもなー。踊りを中心に基本的な生活ができてるってだけで、とりあえず事足りてるんだけど。って。

思うのです。

だって、そのために今まで頑張ってきたから。

 

自分の幸せの物差しで、他の人の幸せも測るのはやめてほしい。

 

なんで

裕福さと幸せが比例するっていう、

その自分の基準が他の人にも当てはまる、っていうそんな単純な考えなんだろうか。

(そもそも、私の住む街でフラットシェアはとても普及した生活スタイルなわけです。一部の貧しい人の生活様式などではないのです。)

 

例えば日本に帰ってきて、踊り以外の仕事について、一人暮らしで余裕な生活をできるくらい稼げるようになって。

そうなった私は、シェアフラットの方が経済的に助かる程度のお給料で、ダンサーとして活動できている今より

幸福度が下がるんだけどな。

 

自分が見たことない・知らない世界や文化がたくさんあるっていうことを、なぜ考えないのか。

自分が何年生きて、どれだけ経験を持っていたとしたって、自分が生きてきた人生はたった一通りにしかすぎないんだって、気づかないのか。

今まで数え切れないほどの選択を重ねてきていて、その選ばなかった方の道の先がどうなっていたのかなんて、誰にもわからない。

なのに、その一通りの道を歩んで養った人生観だけで、幸せを測って決めつけたような言い方をされると、どうしてもムッとしてしまう。

 

今、今まで生きてきた中で1番幸せなのに。

何が自分の幸せかって、その人が決めるものでしょ?

十人十色。幸せの形なんて、みんなそれぞれ違うんじゃないかな。

夏休み🏖🐬

 

6月下旬に日本へ帰国しました。

当初は、ヨーロッパでのコロナの影響が大きく、今夏は帰国できないかなと思っていましたが、少しずつ規制緩和が進み、無事帰国することができました。

ただ、ポーランドからの国際線はまだ再開していなかったため、ヨーロッパの国を複数経由する長旅(2日🙄)。。。しんどかった。疲れた。

 

コロナによる劇場臨時休業の影響で、来シーズンの開始が少し早まり、まだコロナも終息はしていないので余裕を持ってポーランドへ帰ります。

日本に帰国してから2週間の自宅隔離もあり、

結局日本で自由に(?)過ごせる夏休みは1ヶ月弱。残りあと1週間ほど。

この1ヶ月弱、少し少ないくらいに思っていたら、全然少ない😭

日が経ち、日本の生活を思い出していくにつれて、あと1ヶ月夏休み欲しい🙏という欲が出てきた😅

 

海外大好き人間ですが、やっぱりホームはホームですね。気が緩まります😌

やっぱり海外では、自分が外国人っていう意識が根底にありながら生活してるなーと。

 

で、日本に帰ってきて何をしたかと言いますと…

外せないのが「日本食堪能」!!

お蕎麦、海鮮丼、お寿司、お好み焼き、鉄板焼き、たこ焼き、串カツ、抹茶スイーツ、わらび餅、かき氷、、、とにかく今しか食べられないもの食べとかないと!って言うことで、ほんとに色々味わいました😋(書いてみるとほんとによく食べてる😅)

自分でお浸しやきんぴらごぼうを作るだけでテンションが上がったり😁

日本では一般的でもポーランドでは見かけない食材も多いので、向こうで日本食を作るにも限界があるのです…ゴボウとか見たことない。。

ただ、今年はもう少しアジアからの食材や調味料を置いているお店を見つけて、向こうで食べる日本食のレパートリー増やしたいなと思います✊

 

日本食を食べた時や日本文化があらわれてる写真を撮った時は、バレエ団の同僚の方向けにシェアもしてました。1年ポーランドで過ごして、意外とヨーロッパで認識されてる日本文化って少ないし、ヨーロッパ流に若干変わっていたりして。。。(お寿司とかその最たるもの。笑)

そのままの日本ってあまり知られてないけど、そのままの日本も知って欲しい!と思って。

でも、天ぷら蕎麦とか海鮮丼とか、日本のお城とか、これぞ日本!って既に認識されてるものには反応してくれるんだけど、やっぱりそうじゃなかったり、映えてないととっつきが悪い印象。。。

まあSNSってそういうもんだから仕方ないよね。

 

2週間の隔離期間中は、ずっとおうちバレエ。

その後、ようやくレッスンを受けに行きました◎。ただ、2月に足首を捻挫し、その治りが悪く、おまけにコロナでバレエ団も本格的な活動がなかったので、、、4ヶ月ぶりのジャンプとポアント…

流石にビビりながら恐る恐る始めましたが😅💦

1週間もすれば慣れてもう今はバンバン回って跳んでおります😁でもやっぱり、レッスン後などに左足首にだるさや疲れが出やすく、筋力が弱っているよーな。。。まあ痛みはないので次第に戻ってくれるかな☝️❕

 

出発が迫ってきたので、ぼちぼちパッキングを始めていますが、何せ今回、機内持ち込み手荷物2つのみで帰ってきたので、あまり物がたくさん入らない。。色々厳選して持って帰ります。

準備しながら、日本を離れる寂しさと新しいシーズンに向けての期待を感じてます✈️

回想録⑤ ケガ

そんな感じで、2回目のコンクールを終えて、

数ヶ月後に別のコンクールにも出ました。その時は入賞ならずでしたが、入選(決選進出)まではできました👍

その後は、教室の発表会に向けて練習があるので、コンクールは一旦休憩。

次は、中1の終わりに初入賞したコンクールの別部門に出場することに。

 

曲はアレキナーダ。

発表会後、コンクールに向けて練習量も通常の週4回から週5〜6回に増えました。

コンクール2ヶ月前辺りから、踊りがとても仕上がっていて、とても調子がよく、絶好調‼︎

そんな時、何か右足の薬指と小指の下辺りに痛みが。

とりあえずマッサージしてみたり、揉んだりしてました。

いつもならどこか痛みがあっても、数日で気づいたら消えているのですが、

この時はなんだか長い。

コンクールの練習は休めないし、はじめはそのうち治るだろうと、そこまで気にしていなかったのですが、

 

レッスンも受けられるけど、いくつかの動きをすると痛い。

次第に、時々歩いてて痛みを感じる時も出てきました。

 

痛みもどんどん強くなり、

ある日の朝「やっぱり痛い。」と言って、病院に行ったほうがいいのかな、とも思ったのですが、

「レッスン行かなあかんでしょう。」と親にも言われ、自分も今レッスン休めないと思っていたので、レッスンに行きました。

その選択は良くなかったです。(汗)

痛い動きを庇いながらやっていたのですが、小さいジャンプの着地でやってしまいました。

自分で音が聞こえて、そこから歩くのもままならなくなり。

中足骨数本、疲労骨折(ヒビ)でした。その小さいジャンプが最後の一撃やったんですね。(汗)

1ヶ月安静にしなければいけなくなりました。

 

「ケガ・体に対する知識」、持っていないとダメですね。「痛いのに無理をしていいことはない」です。この時に学びました。

(時々忘れますが。😅)

ケガの知識は、本人もだし、親御さんにも持っていて欲しいと思います。当然ですが、先生も。

 

人生初、まさか自分がつくとは思ってもみなかった松葉杖デビュー。(笑)(汗)

バレエどころか学校に通うのすら大変でした。💦

友達に荷物持ってもらうなど、沢山助けてもらって。。

みんな、本当にありがとう🙇‍♀️✨

 

とりあえず1ヶ月の安静期間を経て、コンクール1週間前にレッスンに戻りましたが、

骨はくっついたと言っても、まだ痛みはありまして。当日の朝までギリギリまで粘りましたが、全ての振付をこなす事ができず、やむなく欠場しました。😢

まあ今から考えれば中学生のコンクール1つ出られなくなったところで大したことではありませんが、その時は必死でしたから。とても辛かったです。

 

結局、レッスンでも痛みは出るので、少しずつ様子を見ながら練習を再開しました。

「ケガを治すには時間が必要」、ということも学びました。

 

で、結局いつ治ったのかと言いますと、それがわかりません。😅

というのも、レッスン再開して少し経ってたから、次は仙骨という骨を疲労骨折(こちらもヒビ)しまして。。。(汗)

整形外科の先生にも、ここにヒビが入るなんて珍しい、と驚かれたくらいなので、原因もよくわからないのですが、

仙骨治している間に、足の方は気づいたら治っていました。(笑)

わかる限りだと、中足骨を完全に治すのにかかった時間は、長くても4ヶ月強です。😅💦👍

 

ケガをしたこと、この時は辛かったですが、今思えばこの時期で良かったと思います。

早い年齢で、「ケガをして治す」という経験をできたこと、これをきっかけに身体のことを勉強しようと思えたこと。

実際、今も捻挫をして、

(まあ今は特に仕事としてやっているので焦りましたし、公演のスケジュール上本当に必要な休養期間を早く切り上げて踊り出す必要があり、それが原因なのか今も長引いていますが😅)

「ケガを治すのには時間が必要」(むしろそれが近道)と知っているから、まだ辛抱してられてるのかな、と。

 

していいことではないですが、意味ある経験ではあったかと思います。😊

回想録④ 2度目のコンクール💃✨

 

そんな感じで、無惨な結果となった初めてのコンクールでしたが。(笑)

小学6年生の終わりにまたコンクールに出ることに。その時は前回とは違う、規模も小さいコンクールに出場しました。

演目はジゼル第一幕のVa. 。コンクールの前に発表会でも踊りました。

 

まあこれが難しい。音が鳴り、袖から出てきて踊りはじめの位置に行くまでの歩き方や演技指導から始まりましたが、まあなかなか先生からOKが出ないんですね。😅

しかも、自分では見せて貰ったお手本と同じようにやってるのに、違うと言われ何度もやり直し。自分でもどこが何がどう違うのかわからずとても困惑しました。

あと、「上半身の力を抜きなさい」って言うのも何度も何度もこの時に指導してもらったのを覚えています。

まあ結局上半身に力が入ってしまうような体の使い方、テクニックだったんでしょうね、その時は。😓

(その時はって言うか今も力入りすぎたりするんですが。😶)

 

一歩目のアラベスクがうまくいかなかったり、変な力入りすぎって見られたら初めからやり直し。何度も。地獄。🥵🥵🥵

そしてやり直しすればするほど疲れて余計にできない&無駄な力みが出てくる。。。まさに悪循環。😫

おかげでアラベスク鍛えられました。(笑)

こうして、楽しくもしんどい、しんどくも楽しい練習を経て

 

コンクールの日。💪🔥✨

本番は緊張でガチガチにならず、適度にリラックスして踊れました。

この時、舞台で初めて経験した。それは思い出そうとしなくても、今まで受けた注意が、驚くほど自動的に頭に浮かんできたこと。それを一つ一つきっちりクリアしていくこと。それが気持ち良いくらいスムーズに進みました。

踊った後の達成感もいつもより大きく✨

結果は無事予選通過👍

 

次の日、決選。

予選に比べミスがあったものの、まずまずの出来。

あ、ちなみに最後は、お手つきするという、どうしようもないミスやらかしてます。(笑)

 

そして、表彰式で結果発表。まあまあ良かったけど最後やらかしたので、厳しいかなぁ、でも賞欲しい…!とドキドキしながら結果発表を聞いていたら、

呼ばれました!5位に私の番号!

 

これはめちゃめちゃ嬉しかったです😆

 

初入賞という素敵な思い出ができた2回目のコンクールでした✨